read-read-read's blog

本と生活について書くブログなのだ。君が好きだ。

むくむ顔、花粉、回らない頭、

 ふるいテキストサイトnumeriさんとか)を今更読んではまってますカジカです耳が痒いです!花粉の効果がばつぐんで結構気が狂いそうです!くさみがとまらないです。観念的な思考に蓋がされて腹が減ったとかもう寝たいとかそういう事しか考えられないですある意味で幸せな状態ですが茫洋としてしまって社交場にいけません!今自分は「物語」を強く求めているという事に気付きました。自分を奮い立たすストーリーライン。ドラマ。例えば昔の自分なら「みじめな嫌われ者が逆転勝利、疎外した連中も掌を返す」とか「ねくらが不良に恐れられるようになる」とか中学生的な、、自分の事を何かのシュチュエーションにはめこんで興奮するみたいなのをよくやってたんです。密かな呪いとでもいいますか。「初恋の才媛より社会的地位が上になれるように勉強する」とか。色んな、、、押さえ込まれた願望、欲望、リビドー、、それらを昇華するためのストーリー、、そういうのがあったんです、1、2年前までは。現在なんだかお金を使わない暮らしにも慣れて夢と現実のギャップとかもチョコチョコ知って本当、変な話「さとり世代」じゃないですけどなんか去勢されて植物みたいになってしまってるんですね、自分が。でも本当はもっと欲にまみれてるはずなんですよ。自分も。ことさらに人間的!人間的!理性!と言い聞かせても今世の中で起きている事は明らかな「弱肉強食」です。欲を持った人間はアクティブになります。猟りに行くから。自分は「猟られまい!猟られまい!」とディフェンシブばかりで、あげくフィールドから脱落してます。そして脱落したフィールドではまた脱落したもの同士の中でのみじめな脱落者決めが行われるのです。この無限の、、曼荼羅みたいな、いやピラミッドか、が嫌になって脱!社会!ってなると引きこもりとか。自殺とか。良ければアイターンとか帰農ですよ。お金とか帰れる田舎がある人はできます。軽く怨嗟の声じみて来たのですが、つまり今自分が取り戻したいのは「欲望」です。今の世界は欲望を満たすのにめちゃくちゃ労力がいる。だから皆バーチャルとかもしくは当たり障りないところで満足するようにする。コンテンツとかも性交的というより自慰的に感じます。それが新しいのかもしれないですが。資本主義とか自分でも分かりきってない難しい言葉を出すと言いたい事から遠ざかりそうですが、資本主義ってお金最優先で法も道徳も本音では二の次じゃないですが。資本主義に殉ずるって相当遠い所までいく事だと思うのですよ。で、なんとなーくお金ってヤだな、でも欲しいな、みたいな変な感情をお金に対して持ってきたのですけど、ある程度のところまで行くとしのごの言ってられなくなるんだなあと。でも同時に思うんですよ、、、(もうだいぶ支離滅裂になってきた)今起こってること、これから起こる事は淘汰じゃないかと。有無を言わさぬ淘汰。動物の仕組みが強いものが勝つなら人間の世界は金を稼いだ者が勝つじゃないですか。でその中での配分とかのバランスがもう真ん中では取れないよ、死ぬ人は増えるしお金持ちは超お金持ちになるよ、っていう状況じゃないですか。自分はずっと淘汰される側、、、スクールカーストで言えばクラスで一人で小説読んでる奴ですよ(カーストというかぼっち)ならば、このペースで有能、無能、生きる「権利が有る」、生きる「権利が無い」みたいに剪定がよりシビアではっきりとしたものになってくるとこぼれ落ちるのは必定な訳ですよ。

ここまで書いてただの愚痴じゃん!と気付いたのですが。

今自分が欲しているのは去勢された「純粋な欲望」とそれを「叶えよう!」と思うための、叶えやすくするための「物語」(こういった装置を必要としている時点で自分という人間が如何にシンプルと遠い、こじらせた何かだと痛みを感じますが)と、その具体的「計画」、「目標」。。。話が小学生の夏休みの宿題みたいになってきましたがこれが正直な所。ようはこじらせた自分がもんどり打ってるんです。自分探し!とか90年代か!って感じですが、それぐらい頭がこじれてます。

 

で、書いてて思ったんですがこういう欲望を抑圧されてる上に皆敵。その上いつ災害やテロルが起こるか分からない現代2015の状態は「戦争かよ!」って感じです。

さらに言うと自分みたいな人でもし欲望のはけ口を見出せない場合、戦争を待望するような人々も潜在的にかなり居るんだろうなとも思いました。この閉塞感って90年代末より深刻ですからオウムよりヤバイのが出て来ても全然おかしく無いし。

 

まとめると「もっと働こう」と「制作を進めよう」と「恋がしたい」というところです。