read-read-read's blog

本と生活について書くブログなのだ。君が好きだ。

あの頃のあの本

 こんな時間に起きました。腹が痛いです。カジカです。昨日は死ぬほど本を読んで、今日は夕方に1度起きたんですがすごい気分が落ち込んでて。家族に心配されるくらいぐったりしてたんですがまた寝て。さっき起きたのです。今はミルク多目のコーヒータイム。首がかゆい。

 ばらばら死体の夜を読み始めた。1日一冊読めるくらいになりたいものだ。

 色々考えてしまう。将来の事など。これで生きていけるのか?とか。この歳になるとリアルな寒気が常にするというか、夢見心地だけでは到底生きれないです。

 集中して創作について考えてみる、か。あと今後のプラン。人生設計。

 現実に追われるのも理想を持つのもそれらをすり合わせるのも生きているからだ。死ぬ前に何するかだ。本当に充実した生ってどんなだ?少なくとも今は情けないだけだけど。周りに負担をかけず、一人で独立して初めて滅茶苦茶出来る、というのは感じるが。少なくとも旅に出たいという気持ちはある。逃避願望かもしれないし変身願望かもしれないけど。

制作・創作←→地に足のついた生活←→旅・バックパッカー

旅に出て1年くらい放浪し、帰ったら制作しながら週5働く。が理想だが。
もうモラトリアムという歳じゃないのだから、精神的不具を理由に怠惰に周りに頼って生きるっていうのもしょうもねえ気がする。
でもそう楽では決して無い。し。
これは一番ちゃんと生存戦略を考えないと破滅ギリギリだと思う。既に。

@回想@

 外から火の用心!の木の道具ー名前はしらないーの音っぽいのがして、はっとした。少なくとも言えるのはどん詰まりに居る。っていうこと。そしてどん詰まりって事はその後には大きな変化が訪れる、予感。こんなどん詰まりを自分は10の歳を越えて何度経験しただろう。中学生の頃は毎日どん詰まりだったけど毎日が新鮮なのも確かだった。高校生の頃は一番ゆっくりと時間が流れてたしそれがどん詰まりだったとしても、既にどん詰まりだったとしても、そうは感じなかった。感受性ははつらつとしていたし、人格的にどうかは解らないけど今のような決定的な不具合は無かった。いや人間関係ではあったんだけど。高校三年からかな。決定的に怠惰に勝てなくなったのは。そこからだと思う。19はどん詰まりの1年間だったし、20,21は結局19のどん詰まりの延長だった気がする。悪化の一途だった。愚かだった。22.23...幸せな日々と言えた。人生のピークかも知れない。いやまだピークはここからだぜ!って言いたいけどそれはまあいいや。24。は模索した歳だった。色々な事が起きた。良い事、悪い事。悪い事も多かったが今思えば良い事もまたあった気がする。悪い事とは大抵がトラブルである。良い事は精神面で改善がみられた。時にぶれまくりだったり何もしなかったが。

 回想したところで常にめちゃくちゃな状態で生きてきたせいか連続性をあまり感じない、というのが自分の悩みだったのだけれど、こうして日記をつけるようになり少しは自我の連続性とかいうとかっこつけっぽいけどそんなものが保たれてている気もするのだ。相変わらず先伸ばし癖はひどいし、だらだらしてるし、不調がすぐ出るし、、だが一番人を傷付けた時期よりはデリケートだし、一番苦しんだ時よりは楽だし、一番孤独な時よりは友達は居るし、一番自分が嫌いな時よりは好きだ。だが一番楽しかった時より楽しいとはまだ言えない。まだ面白く出来るはず。この人生を。まだ面白く出来るはず。そう言い聞かす。自分はまだ変われる。嫌いな所を変えて、好きな所を増やせる。自分の、自分なりの考え方をもっとしっかり持てる。そう信じたい。


@アノ頃のラノベ

 宇宙戦艦ヤマモトヨーコ、完結していたのか。当時、多分中学生だと思うけどかじりつくように読んだ記憶がある。ファミ通文庫ライトノベルの先進性が自分の中で少年チャンピオン的で一番のフェイバリットで、角川スニーカーや富士見ファンタジアは王道というかジャンプ的な。で、ごくどーくんまんゆうきとか、オーフェンとか、はやってたけど読まなかったキノやブギーポップ、そして珍しく既刊全巻読んだのがこの「ヤマモトヨーコ」だったと思う。あとハマったのって何があったか。そうだ、ランブルフィッシュだ。ロボットバトル学園もの。あれは面白かった。ファミ通文庫では面白いシリーズものが結構あって、多分もう忘却してるものの中に確実に琴線に触れたものもあると思うけど、「ホルス・マスター」だの「ブレイク・エイジ」だのは田舎に帰る新幹線で三冊とか読んでた。わくわくしたっけか。昔は本当にメカフェチだったんだが、気付いたらその属性は消えていた。何故か。アーマードコアとかジージェネ超強かったんだけどね。「ヤマモトヨーコ」は自分が読んだ数少ないSFである事は確か。「トゥインクル・スターシップ(確か同作者)」も途中まで集めたんだけどなあ。ああ、そうだ!「あるある学園」を忘れてた!あれも面白かった。今思うと自分の自発的読書の系譜ってのは「ズッコケ三人組」から始まって、ライトノベルへ、そして一般文芸、純文学、といった流れだったと思う。自分にカタい文芸ものってのは最初受け入れ難くて、「夜は短し歩けよ乙女」で本格的に「本」が好きになってそこから色々こじらせつつ今の趣味に。だから桜庭作品にはまるっていうのは原点回帰的な所があるのかもしれない。中学時代にやった「EVE THE LOST ONE」も桜庭さんがシナリオだし桜庭さんが書いたEVEシリーズのノベライズも読んでた。この謎の自己分析はなんだ。まあいい。今ここに居る自己が幾つもの読書を経て形成されている、読書、というか物語を摂取することで今の自分がある、というのが面白い。自分のような夢見がち駄目人間の根幹にはやはり非現実的な思考が関わっていると思うけど、昔からフィクションと現実の境が曖昧な人間だったと思う。

 @アノ頃の漫画@
 小学校の頃はファミ通ブロス、ホビージャパン少年チャンピオンが大好きだった。ホビージャパンはメカかっけえ!という気持ちでひたすら読んでた。幼稚園からガンプラ大好きだった。ブロスにてG・ヒコロウの同人的なノリにハマり(あの人は特殊なんだろうけど)メガテンシリーズの存在を知り、あのダークな雰囲気に憧れ、後にペルソナ2に激ハマリする伏線をはり、ファミ通文庫にハマる伏線もはり、とにかくブロスはでかかった気がする。影響が。チャンピオンではバキシリーズとゲッチューまごころ便、BMネクタールとか他の雑誌にない雰囲気の漫画にはまってた。この頃のマイナー趣味は後にアフタとかフェローズとかビームとかアックスとかガロ、その辺を好きになるフラグだったように思う。「他人とは違うものを手に取る自分かっけえ!」っていう子供だったしそのままこの歳まで来てる。が、「他人と違うものが好き」なのは実はそんなにすごい事でもいい事でもないのは身にしみて知ったし、「他人との違い」を表現するために意図的にマイナー路線を行くというのはファッションとしてのアンダーグラウンドだと思って悩んだりもしまして、結局「他人と違う」のは当たり前だから「自分の他人と違うところ」をどれだけ鮮やかに切り取れるかというかそれは意識する以前のところであって内発的な表現欲求に沿ってありのままに、いやそこに自分ナリの手法を加えて、、ああ!話はずれましたけど自分はB級グルメ、C級グルメな人間だったなあ、と思うのです。でまあ最近はハマった漫画とかあんまり無くて、結構困惑してます。漫画に関しては「死神くん」と「はみだしっ子」ばかり読んでて、クラシック趣味なとこに落ち着いてます。2015年を生きる人間として同時代の人と語れるような漫画、例えばもう既にだいぶ後乗りだろうけど進撃の巨人とか、読みたいっちゃ読みたいんですけどね。